【観光名所】日本海の絶景とともに望む「波しぐれ三度笠」と「菊港」(2020年6月撮影)【鳥取県琴浦町】

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この写真について

2020年6月の某日に鳥取県琴浦町にて撮影したものです。当時の居住地だった島根県出雲市の方から、鳥取県各所の「ポケふた」めぐりのついでに立ち寄ったときのものでございます。

こちらは鳥取県有数の観光名所でありまして、眼前に広がる日本海の絶景とともに楽しめるようになっています。中でも「波しぐれ三度笠」は世界的な彫刻家である流政之氏に彫刻いただいたものということです。

立ち寄った当時、コロナ禍が世間で蔓延していたこともあり、人はほぼいませんでした(緊急事態宣言が解除されたばかりの頃でした)。そういったこともあり、観光名所にしては寂しいことこの上ありませんでしたが、その分じっくりと眺めることができて良かったと思います。

詳しい説明については、第三者たる私の方でああだこうだと語るよりは、以下の「看板メッセージ」の方をご覧いただく方が早いと思われますので、そちらを見ていただけますと幸いです。

なお、この名所のことを知ったのも「ポケふた」がきっかけでございますが、それはまた別の機会にでも。

看板メッセージ

「菊港」「波しぐれ三度笠」の近くには、上記写真のような看板が設置されております。その中には、こちらの名所の歴史的経緯について詳細に記載ございます。

看板「波しぐれ三度笠」

「波しぐれ三度笠」

 この波止場の先端に建立された彫刻は、彫刻家流政之先生が、ここ菊港にまつわる歴史に深い関心をよせられ、三体の旅姿の像を製作されました。

 寛政年間に築かれた菊港は、千石船の寄港地であり、江戸時代には藩米の積出し港として栄えた古い港として栄えた古い港です。

 板子一枚下は地獄の、日本海の荒波を乗り越えて往き来した、たくましい海の男達、それを送り迎えた港の人々、そんな人々の生きざまや、哀歓を刻り上げられたのがこの彫刻「波しぐれ三度笠」です。

 三度笠は旅を表わし、旅は人生そのものを表わしています。北東に向って立つ彫刻は、見る人それぞれに深い憩いをいだかせ、晴れた日、曇の日、嵐の日、又、四季それぞれに表情を変えて我々に生きる希望と勇気を与えてくれます。

 これは日動画廊の長谷川徳七社長が、御母堂林子氏の生地発展の為にと寄せられた寄附金を基に、町と県の協力によって実現したものです。

一九八九年 十月 建立 赤碕町観光協会

看板「菊港の由来」

菊港の由来

 明暦三年(一六五七)の江戸大火の折、鳥取藩の藩邸が消失してしまったため、鳥取藩では赤崎村の大庄屋役の河本長兵衛に材木の調達を命じた。そこで、長兵衛は泉州の堺から大きな船を買い入れ、この港から材木を江戸に運んだ。菊港が現在のような港に修築されたのはこの時のことである。

 河本長兵衛の妻は松江城主堀尾吉晴の孫姫で、菊姫と言い、長兵衛との間に出来た弥四郎は堀尾姓を名乗り、長兵衛の後を継いで海運業を営んだので、この港を次第に「菊姫の港」(菊港)と言い慣わすようになった。

 こうした史実にもとづき、新しい橋を「菊姫橋」と名付け、欄干の模様には松江城主の堀尾家の家紋をもとにデザインした。そして菊姫が所持していた長刀には青貝の螺鈿(らでん)細工が施してあるので、橋名板に螺鈿(らでん)風の装飾を取り入れた。

写真あれこれ

波しぐれ三度笠

波しぐれ三度笠・正面から
波しぐれ三度笠・逆の方から
波しぐれ三度笠・遠くから

菊港・菊姫橋

菊港・菊姫橋 周辺の様子。奥には「波しぐれ三度笠」が見える
菊港・菊姫橋 周辺の様子。斜めの方から
「菊姫橋」橋名板:菊港
「菊姫橋」橋名板:「菊姫橋」と周辺の様子

撮影時の記録

撮影場所波しぐれ三度笠・菊港(鳥取県琴浦町)
撮影時期2020年6月某日
撮影対象波しぐれ三度笠・菊港 周辺
公式情報菊港・波しぐれ三度笠 | 琴浦町観光協会
設置日時1989年10月(波しぐれ三度笠)

関連リンク

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